栗田読書倶楽部Web通信

2006年(平成18年)11月20日

最新号    ◆栗田読書倶楽部とは?    ◆過去の記事一覧    ◆ホーム

− 特  集 −
読書倶楽部メンバーによるオススメ本紹介
(その4)
 ●『川の名前』(川端裕人 早川書房)
 @皆さんの夏休みの思い出といったらなんですか?
 A心に川は流れてますか?


 唐突な質問で失礼しました。でも、この物語の多くを語ってはこれから読む人に失礼だし、私の下手な文章でダラダラ紹介しても、面白さは伝わらないでしょうから。
 物語の主人公は小学5年生の男の子。受験や部活といった束縛が始まる前の小学生時代の夏休み。ワクワクドキドキしながらその時が来るのを待っているところから物語は始まります・・・で質問@へ戻ります。育った環境や時代背景で思い出も変わってくるでしょうね。でも主人公とその仲間たちほどの冒険譚を思い出として持っている人はなかなかいないだろうな、と自問自答しながらもどんどん物語の中へ引き込まれていきます。教室の窓から垣間見えた物体の正体を突き止めるために少年たちは動きだし、物語はズンズン進んでいきます。最後は『ガンバレー!』と叫びながら読んでいるかも。

 キーワードはタイトルにもある通り『川』です。不思議なタイトルですが、読み進むうちに納得。これがなかなか意味深なんだなぁ。とここで質問Aへ。いきなりこう聞かれても、なんのこっちゃ?と疑問符がつくばかり。ちょっとだけヒントです。皆さんも子供の頃遊んだ川や川原を思い出してみてください。その川が故郷の景色と一致する人や、今でもその川の近くに住んでいる人ならすんなり入っていけますよ。川は海へつな     がり、海は世界へつながっている・・・。自分にも川の名前をつけるとしたら、やっぱり故郷の大瀬川かな。まだまだ海にもたどりつけていないかもしれない。何歳になっても、地に足つけて生きていく事は大事ですよね。そこから繋がって行くのだから・・・。

 ウダウダ駄文を読むよりもまずは店頭で現物を見て下さい。帯の椎名誠氏の惹句で十分。さあレジへ直行しましょう。 (よっちゃん)
− 夏と文学散歩 −
 夏、といえば、まとまった休日を利用して冷房の効いた部屋で買いっぱなしになっていた本を読んで読みあさるって、ちょっと待った。
 無論、本好きにとってはそれでも良いけれど、せっかくの長き休暇なんだし、活字とにらめっこせずに本を読むのと同様の体験をするのも良いのでは。例えば「文学散歩」なんか如何でしょうか。

 初めての文学散歩はかれこれ十年前の八月、愛知県は半田市。知多半島の中央部に位置する、かつては醸造・繊維で栄えた古い町、そして、ここはかの宮澤賢治と並び称されることも多い童話作家、新美南吉の故郷でもあります。

 南吉といえば「ごんぎつね」「てぶくろを買いに」など、人間と動物のふれあいを描いた民話的な作品が有名だけれど、個人的には晩年の「ごんごろ鐘」「最後の胡弓ひき」のような郷土性の強い、人間の生活に根ざした作品に強い愛着を覚えます。

 さて、名古屋から名鉄線に乗り、「半田口」で下車。改札を抜け常滑市方面を見渡せば、起伏の少ない、ただたた平野が続くまさに南吉童話の世界(ただし十年前)。この先が「おじいさんのランプ」「牛をつないだ椿の木」に出てくる地名、「岩滑新田」「しんたのむね」なのだな、今、自分が歩いている道を和太郎さんも牛をひいて歩いていたのだな、と色々想像なんかもしたりして実に楽しいものです。しかしこの辺り、太陽を遮るものがなにもなく、土地柄もあるのだろうが、とにかく暑い。汗が止まりませんでしたよ。

 そうこうしているうちに「新美南吉記念館」に到着(この建物は周りの景観を崩さないユニークなつくりになっており、一見の価値あり)。南吉ゆかりの展示品を見たり、喫茶店で「南吉クリームぜんざい」(なんの変哲もないクリームぜんざいだった)を食べたりして、汗がひいたところで記念館を出る。歩いてきた道を引き返し、駅へ。これにて文学散歩終了。充分満喫した一日となりました。

 これがきっかけである作家を好きになると、書かれた作品の背景や作家自身の育った場所にも興味を持つ様になり、しばらくの間、文学散歩は続くのでした。
 最後に数多く出ている南吉の本の中でも個人的に特に目を通したと思われる二冊を挙げておきます。

『ごんぎつね・最後の胡弓ひき ほか十四編』
(講談社文庫 \466)
『花のき村と盗人たち』
(講談社文庫 \369)
◆◆ 我が愛しの拳銃 ◆◆

 突然だが、俺は拳銃ってけっこう好きだぞ。いや、人に向けて撃つと危ないとか、そもそも人殺しのための道具だとか、日本では銃刀法違反になるとか、いろいろ悪く言われてるけど、でもああ見えて……根はけっこう良いヤツなんだよ。

拳銃猿
【ヴィクター・ギシュラー ハヤカワ文庫】


わが手に拳銃を
【高村薫 講談社】

 というわけで、拳銃と聞くとまっさきに思い浮かべるのが、ヴィクター・ギシュラーの『拳銃猿』という小説。原題は、まさにそのまま「Gun Monkey」。このタイトルは、銃の扱いに長けた凄腕の殺し屋でありながら、それ以外には何のとりえもなく、それゆえにギャング集団のボスの忠実な手足として生きてきたチャーリーのことを指している。ありがちな海外のバイオレンス・アクションかと思いきや、じつはあくまで義理と人情、組織への忠誠を貫こうとする愚直な男の生き様を描いた、ある意味日本の任侠小説に通じるものがあったりする。

 拳銃という、純粋に殺人の道具としてのシンプルさ――高村薫の『わが手に拳銃を』は、そうした武器としての拳銃に対して起こる、嫌悪と憧れという相反する心理をうまく表現した作品で、著者ならではの圧倒的な説明と描写もさることながら、拳銃によって人生が左右され、翻弄されていく人々の、いわば群像劇ともいうべきクオリティを誇っている。ちなみに、文庫版では『李歐』とタイトルが変わり、内容もガラリとその雰囲気を変えてしまっているので、注意が必要だ。
 どうしても血なまぐささとか暴力とかいった、マイナスの印象をぬぐえない拳銃だが、竹内真の『粗忽拳銃』は、そんな拳銃のもつ人殺しの力を、まだ荒削りな、しかしそれゆえに無限の可能性を秘めた若者たちのもつ力と結びつけることで、プラスの方向にひっくり返してしまった稀有な作品。本書に登場する若者たちは、未熟ではあるがそれぞれの夢のために日々努力しており、偶然に手に入れてしまった本物の拳銃を、自分たちの成長と飛躍のための象徴として、明日を生きる力へと変えていこうとする、なんとも爽やかな青春小説なのだ。

 今挙げた小説を読んでもらえれば、俺の言ってることがけっして荒唐無稽でないってことがわかると思う。だから、みんなもそんな拳銃のこと、あんまり嫌ってやるなよな!

粗忽拳銃
【竹内真 集英社文庫】